雨の庭先
「ライトノベルになりたい小説」をなんとなく書いていく場所です。
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いっけん奇妙にみえるけれど、たぶん、きっとそれだからこそ、よくある日常(序章)
序章
「きれいはきたない。きたないはきれい」
これは、シェークスピアの『マクベス』という劇で、かなり始めの方に出てくる魔女の言葉だが、当の劇中でマクベスに語りかけられたこの警句(それとも予言だろうか)を思い出しつつも、オレは相変わらず自分の手を洗うことに執心していた。
そういえば、王を殺すようにマクベスをそそのかしたマクベス夫人も手を洗い続けていたなあ。そうして彼女は決して落ちない、王殺しという自分の『汚れ』に苦しみ続けたのだった。
あれ…。それじゃあ、オレは何か『汚れ』るようなことをしたっけ……。
2年くらい昔のことになるが、その当時のオレは、一応、大学を出ることは出たものの、特に何をするあてもなく、就職することもせず、ただ賃貸アパートの一室に籠もって、日々をのらりくらりと生活していた…、と今ならそう書くこともできるが、当時のオレは自分なりに真剣に生活していたようにも思う。
何か思いつくと、(たいていは、テキトーな批評本か文庫版の安い哲学書のようなものを何冊か、読み通すこともせずに、拾い読みをした後だったのだろうが)大学ノートの罫線が入った紙にシャーペンでいろいろと書いていくのだ。疑問に思った点、難解な部分、その部分に対する解釈…。次々に書くことが生まれてきて、それを次々と(紙の上で)解決していく自分が、そこにはいた。
…非常に不思議な感覚だった。あらゆる疑問とその回答が、大学ノートにただひたすら書きつづられていく。ノートは最終的には7〜8冊にもなっただろうか。今はいつのまにか紛失してしまい、手元にないので正確なことはわからないのだが。
あまりにも暇で、何もすることのない生活が、そういう『成果』を生み出したのだろうが、今でも時々思うのは、あのノートにはいったい何が書いてあったのか、あそこに書いてある言葉が今でもあれば、オレはこんなにもヘンテコな現在の迷宮生活に落ち込むこともなかったのじゃあなかろうか、という疑問だ。
現在のオレは、当時とは違って、一応「職業」と呼べるものを持っている。あの“大王”と名乗る変なオッサンが付けてくれた呼称によると「宗教指導者」というらしい。まあ「指導者」というよりカウンセラーのようなものが実態なのではあるが、委託されている仕事である以上、「宗教指導者」という名称はいやでも使わなくてはならない。現に「お客」ごとに報告する書類の様式には一番上の欄に、この言葉が出てきて、その隣の空欄にオレはいつも自分の名前を記入する。
こういう書類がある以上、オレの他にも似たような「仕事」をやっている奴はいそうなものだが、どうもそれはいないようだ。オレの仕事での補佐役を務めてくれる、なんだか頼りない助手によると“β版の期間”とのことなのだが…。いつまで経ってもβ版状態という例のWebサービスみたいにならないという保証は、…ないんだろうな。おかげでオレは、仕事上の悩みを共有してくれる仲間にも恵まれていないというわけだ。
話を戻すと、2年前、オレはある種の閉塞状態にあったと思う。すべての生活上の問題が、大学ノート上での仮想問答で解決していく生活は、もしかしたら完璧に美しいかも知れないが、ひどく不健康でもある。すべてが紙の上で完結している状態…。今でも、そういう状態にあこがれる気持ちがないとは言えない。けれども、それで生活していくことはできそうもないし、当時も経済的には親に負担を掛けていた。しかしいつのまにか、そんな閉塞状態にも、打ち破られてしまう機会が訪れた。オレにとっては重要なことであるはずの、その出来事なのだが、どうにもそのあたりの記憶には曖昧な部分がある。ただ確かなことは、その晩は雷が鳴っていた大雨の夜で、そうするとたぶん夏の頃だったということになる。
その晩、洪水にでもなりそうなほどの雨が降っていた。家賃の安い(だからこそ入居していたわけだが)ぼろアパートに籠もっているオレとしては少し不安になって、近くのコンビニに出かけてみようかという気になった。…何故家のまわりを見て回るとか、そういうことをしないのかと問いつめないでくれ。当時も今もそうだが、オレの行動は「気まぐれ」と「不確定」という超越神(もしかしたらオレはこの神様だけは本気で信仰しているのかもしれない、無意識的にだが)によって左右されているのだ。
ビニル傘をさして、部屋の玄関から出たオレは、アパート前の入口付近に誰か立っているのに気が付いた。夜の10時頃に入口付近の細いアスファルト舗装の通路に突っ立っていられたら、たぶん誰だって気味が悪い。子供の頃ならオバケが怖いくらいで済んでいたが(いやオバケがホントにいたら、それはそれでやっぱり怖いのだろうが)、近頃は街も物騒である。不審者にいきなりナイフで刺されでもしたら大変だ。それでなくても夜間の外出時に人気のない市民公園付近で変なチンピラに絡まれそうになって、走って逃げた過去もあるオレのことだから、もっと注意してもよかったのかも知れない。もしかしたら、そういう経験があるからこそ、かえって悪い方向に考えてしまうのかもしれない。…いや、今から振り返るとそれで正解だったが。
怪しい人影を見て、もう一度部屋の中に引き返すこともできたのだろうが、なにしろ不審者のことだ。「避けられた」と被害者意識を抱いて逆切れし、カッターナイフで切りつけてくる可能性だって十分考えられる。いや、実はホントになんでもない普通の人で、たまたま人待ちをしているのが、オレのアパートの前だったという可能性も捨てきれない。ちょっと見たところ小柄で、子供のようでもある。もしかしたら両親が共働きで、残業で遅くなった親の出迎えに出ているのかもしれないじゃないか。そうだとしたらちょっと泣かせる話になるかもしれない。傘を忘れた親を出迎えとか。いやこんな、どしゃぶりの雨の中をか?そんな殊勝な子供が今でもまだ生き残っているのか?
いろいろな思いが頭の中を一瞬駆けめぐったが、結局オレは「当初の目的を完遂する」というよく利用する行動規範にのっとり、そのままコンビニに向かうことにした。そうしている間にも、入口付近の人影はじっとしたまま動かず、余計に奇妙さだけが募ってくる気がした。しかし、単なる偶然、気の迷いとオレは傘を開いて雨の中へ一歩を踏み出した。人影には目を合わせないようにして…。
「金田正太郎さんですね」
オレはそのとき、たぶんあまり人目にはわからないだろう程度に、驚愕するのを押さえた…つもりだ、。街灯はあるにせよ暗い夜道のどしゃぶりの中で、突然声を掛けられたわけだからな。驚くのは人間として当たり前だ。一目散に逃げようにも、逃げ込む部屋は目の前にあり、相手も部屋から出てきたところを、たぶん見ている。逃げ場を奪われた格好で、オレは仕方なく、けれどもややもすると衝動的に、不審者の様子を確認するため顔を上げた。
少女。綺麗というよりも可愛いといったくらいの年齢のような女の子がそこに立っていた。表情は特になく、かといって幼い感じがするせいか、そっけない感じもあまりしない。なによりも妙だったのは、これだけ雨が降っているのに、傘をちょこんと差しているだけで、あまり濡れた様子もないことだった。まあ、暗かったので本当のところよく分からなかったのだが。オレがビックリしたあまり動きが止まっている僅かの間に、少女は再び口を開いた。
「ぜひ聞いてほしい話があります。しばらく雨宿りさせてもらえませんか」
これが、オレと、オレの「仕事」との出会い、そして、どちらかというと頼りない助手、ニートとの出会いだった。
(序章了)
「きれいはきたない。きたないはきれい」
これは、シェークスピアの『マクベス』という劇で、かなり始めの方に出てくる魔女の言葉だが、当の劇中でマクベスに語りかけられたこの警句(それとも予言だろうか)を思い出しつつも、オレは相変わらず自分の手を洗うことに執心していた。
そういえば、王を殺すようにマクベスをそそのかしたマクベス夫人も手を洗い続けていたなあ。そうして彼女は決して落ちない、王殺しという自分の『汚れ』に苦しみ続けたのだった。
あれ…。それじゃあ、オレは何か『汚れ』るようなことをしたっけ……。
2年くらい昔のことになるが、その当時のオレは、一応、大学を出ることは出たものの、特に何をするあてもなく、就職することもせず、ただ賃貸アパートの一室に籠もって、日々をのらりくらりと生活していた…、と今ならそう書くこともできるが、当時のオレは自分なりに真剣に生活していたようにも思う。
何か思いつくと、(たいていは、テキトーな批評本か文庫版の安い哲学書のようなものを何冊か、読み通すこともせずに、拾い読みをした後だったのだろうが)大学ノートの罫線が入った紙にシャーペンでいろいろと書いていくのだ。疑問に思った点、難解な部分、その部分に対する解釈…。次々に書くことが生まれてきて、それを次々と(紙の上で)解決していく自分が、そこにはいた。
…非常に不思議な感覚だった。あらゆる疑問とその回答が、大学ノートにただひたすら書きつづられていく。ノートは最終的には7〜8冊にもなっただろうか。今はいつのまにか紛失してしまい、手元にないので正確なことはわからないのだが。
あまりにも暇で、何もすることのない生活が、そういう『成果』を生み出したのだろうが、今でも時々思うのは、あのノートにはいったい何が書いてあったのか、あそこに書いてある言葉が今でもあれば、オレはこんなにもヘンテコな現在の迷宮生活に落ち込むこともなかったのじゃあなかろうか、という疑問だ。
現在のオレは、当時とは違って、一応「職業」と呼べるものを持っている。あの“大王”と名乗る変なオッサンが付けてくれた呼称によると「宗教指導者」というらしい。まあ「指導者」というよりカウンセラーのようなものが実態なのではあるが、委託されている仕事である以上、「宗教指導者」という名称はいやでも使わなくてはならない。現に「お客」ごとに報告する書類の様式には一番上の欄に、この言葉が出てきて、その隣の空欄にオレはいつも自分の名前を記入する。
こういう書類がある以上、オレの他にも似たような「仕事」をやっている奴はいそうなものだが、どうもそれはいないようだ。オレの仕事での補佐役を務めてくれる、なんだか頼りない助手によると“β版の期間”とのことなのだが…。いつまで経ってもβ版状態という例のWebサービスみたいにならないという保証は、…ないんだろうな。おかげでオレは、仕事上の悩みを共有してくれる仲間にも恵まれていないというわけだ。
話を戻すと、2年前、オレはある種の閉塞状態にあったと思う。すべての生活上の問題が、大学ノート上での仮想問答で解決していく生活は、もしかしたら完璧に美しいかも知れないが、ひどく不健康でもある。すべてが紙の上で完結している状態…。今でも、そういう状態にあこがれる気持ちがないとは言えない。けれども、それで生活していくことはできそうもないし、当時も経済的には親に負担を掛けていた。しかしいつのまにか、そんな閉塞状態にも、打ち破られてしまう機会が訪れた。オレにとっては重要なことであるはずの、その出来事なのだが、どうにもそのあたりの記憶には曖昧な部分がある。ただ確かなことは、その晩は雷が鳴っていた大雨の夜で、そうするとたぶん夏の頃だったということになる。
その晩、洪水にでもなりそうなほどの雨が降っていた。家賃の安い(だからこそ入居していたわけだが)ぼろアパートに籠もっているオレとしては少し不安になって、近くのコンビニに出かけてみようかという気になった。…何故家のまわりを見て回るとか、そういうことをしないのかと問いつめないでくれ。当時も今もそうだが、オレの行動は「気まぐれ」と「不確定」という超越神(もしかしたらオレはこの神様だけは本気で信仰しているのかもしれない、無意識的にだが)によって左右されているのだ。
ビニル傘をさして、部屋の玄関から出たオレは、アパート前の入口付近に誰か立っているのに気が付いた。夜の10時頃に入口付近の細いアスファルト舗装の通路に突っ立っていられたら、たぶん誰だって気味が悪い。子供の頃ならオバケが怖いくらいで済んでいたが(いやオバケがホントにいたら、それはそれでやっぱり怖いのだろうが)、近頃は街も物騒である。不審者にいきなりナイフで刺されでもしたら大変だ。それでなくても夜間の外出時に人気のない市民公園付近で変なチンピラに絡まれそうになって、走って逃げた過去もあるオレのことだから、もっと注意してもよかったのかも知れない。もしかしたら、そういう経験があるからこそ、かえって悪い方向に考えてしまうのかもしれない。…いや、今から振り返るとそれで正解だったが。
怪しい人影を見て、もう一度部屋の中に引き返すこともできたのだろうが、なにしろ不審者のことだ。「避けられた」と被害者意識を抱いて逆切れし、カッターナイフで切りつけてくる可能性だって十分考えられる。いや、実はホントになんでもない普通の人で、たまたま人待ちをしているのが、オレのアパートの前だったという可能性も捨てきれない。ちょっと見たところ小柄で、子供のようでもある。もしかしたら両親が共働きで、残業で遅くなった親の出迎えに出ているのかもしれないじゃないか。そうだとしたらちょっと泣かせる話になるかもしれない。傘を忘れた親を出迎えとか。いやこんな、どしゃぶりの雨の中をか?そんな殊勝な子供が今でもまだ生き残っているのか?
いろいろな思いが頭の中を一瞬駆けめぐったが、結局オレは「当初の目的を完遂する」というよく利用する行動規範にのっとり、そのままコンビニに向かうことにした。そうしている間にも、入口付近の人影はじっとしたまま動かず、余計に奇妙さだけが募ってくる気がした。しかし、単なる偶然、気の迷いとオレは傘を開いて雨の中へ一歩を踏み出した。人影には目を合わせないようにして…。
「金田正太郎さんですね」
オレはそのとき、たぶんあまり人目にはわからないだろう程度に、驚愕するのを押さえた…つもりだ、。街灯はあるにせよ暗い夜道のどしゃぶりの中で、突然声を掛けられたわけだからな。驚くのは人間として当たり前だ。一目散に逃げようにも、逃げ込む部屋は目の前にあり、相手も部屋から出てきたところを、たぶん見ている。逃げ場を奪われた格好で、オレは仕方なく、けれどもややもすると衝動的に、不審者の様子を確認するため顔を上げた。
少女。綺麗というよりも可愛いといったくらいの年齢のような女の子がそこに立っていた。表情は特になく、かといって幼い感じがするせいか、そっけない感じもあまりしない。なによりも妙だったのは、これだけ雨が降っているのに、傘をちょこんと差しているだけで、あまり濡れた様子もないことだった。まあ、暗かったので本当のところよく分からなかったのだが。オレがビックリしたあまり動きが止まっている僅かの間に、少女は再び口を開いた。
「ぜひ聞いてほしい話があります。しばらく雨宿りさせてもらえませんか」
これが、オレと、オレの「仕事」との出会い、そして、どちらかというと頼りない助手、ニートとの出会いだった。
(序章了)








